昨年の暮れ、皆様もご存知の惨劇が都内神社様で発生しました。
諸説だけが乱れ飛び、私共にはわかりません。ただ、神官なら祈祷をもって、ゆっくりと、知らず知らずの内に打倒すのが平和というものと真剣に考えてしまうのも、あながち間違った考えではないでしょう。
さて、お年寄りの方から耳にすることでは、昔の時代は、殴り合いの喧嘩をしても、お互いに、何か、どこか憎めず、翌日にはケロッとし、互いに酒を酌み交わしていた。そんな何かほのぼのとした心が在ったようです。今は、殴ったりしようものなら、永代の敵とばかりに恨まれ、仮に仲直りできたように見えても、顔で笑って心で刺す(意趣返し)といったイジメを受け、また、相互に其の仕返しを繰り返すことで負のスパイラルを生み出してしまいます。精神医学も人の自尊心を非常に重要視します。また、その自尊心は自我の為か?自他の為か?人格を見る上でも大切な要素です。ただ残念なことに今の時代の人に其れを計る物差しはありません。神社に行くと鏡があります。また、どこのお家にも鏡があります。また鏡は世界中に満ちています。いわば、世界中のあちらこちらに神様がいらっしゃる。そして日常の自らを映しては、そのみだしなみを整えるよう促してこられる。そう考えると鏡は単に、おしゃれの道具ではありません。また鏡の奥に神様はいません。映る自分が神様です。今日一日、人に優しくなれるのか?それとも喧騒立った顔なのか?優しくなれれば貴方は今日一日神様でしょう。なんにしても一目瞭然の自分を映すので、出るとき帰るとき、必ず自らを正していかなければならないようになっています。喧嘩は惨事を招きます。若し、貴方が怒ったときは、ちょつとお手洗いに行き顔を洗いましょう。水の渇かない内に自分の顔をみてみましょう。不思議と怒りが醒めてきます。不思議と心も静まってきます。水で顔を洗えば、ガ(怒り)が流されます。口を漱げば、胸の火が静まります。例えひと時の暗示であっても、どうぞ理性が働いているうちにためしてください。我(ガ)という濁点をとれば神(カ)になります。濁点があれば汚濁になります。心の汚濁あるが故に人に汚辱を与えます。汚辱を受けた方は、侮辱を感じます。このスパイラルに堕ち、後にも先にもひけない状態になる前に、水で顔と口を漱いでください。ぜひお勧めしたい方法です。